小学生くらいのダウン症の子を連れてたまにお店に来る老夫婦。
恐らく孫と祖父・祖母の関係と思われる。
老夫婦はいつもニコニコして、周囲に気を使い、食べ終わった後はテーブルを綺麗に拭いて、食器もきれいに重ねておいてくれる。
彼らはなぜ笑顔でいられるのだろうか。
自分は未婚なので子供はいないけど、もし自分の子供がダウン症だったらと想像すると、きっと理不尽な運命を受け入れきれずに誰かに怒りをぶつけたり、恨み言ばかりを言ってしまうのではないだろうか。
とてもあの老夫婦のように、穏やかにに過ごす事なんてできそうにない。
だけど、彼らは和やかに食事を楽しんでいる。
彼らがお店にくるといつも身に積まされる。
少しでも自分の思い通りにいかないと、ついイライラしてしまう自分。
ちょっとでも不安があると、他人に当たってしまう自分。
どれだけ傲慢で身勝手なんだろうと。
大切なことはいつもお客さん教えてくれる。
実際に言葉を交わすのは一言二言だけど、その振る舞いから彼らの生き方を学ぶ事が出来る。
お客さんが言葉ではなく、振る舞いを通して語りかけてくる気がする。
「私たちは運命にめげること無く、こうして前向きに生きている。あなたはどうですか?」と。
夜と霧の著者で有名な心理学者のフランクルの説では、人生には大きく三つの価値があるという。

- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
- 購入: 48人 クリック: 398回
- この商品を含むブログ (372件) を見る
一つは「創造価値」、もう一つは「体験価値」、最後に「態度価値」。
「創造価値」は仕事などの活動によって生み出される価値。
「体験価値」は美しい風景に出会ったときや感動的な映画を見た時に得た体験による価値。
最後の「態度価値」は、人生の様々な場面で表す態度によって得られる価値。
フランクルは収容所体験の中で、極限状況における人間の様々な態度を目の当たりにした。
そして、 財産はおろか生きる自由さえ奪われた生活の中で、目の前の出来事に対してどのような態度を取るか?という選択の自由だけは奪う事は出来ないと悟った。
全員が飢えに苦しんでいる中で、他人にパンを分け与える自由。
これこそが、「態度価値」であると定義した。
自身がその人生の中でどのような状況に置かれようとも、フランクルの様に明日の命すら保障されていない状況でも、他人の事を慮った態度を取ることもできるし、現在の日本社会でそれなりに満たされた生活を享受する中で、少し気に入らないことがあっただけで、舌打ちして他人に八つ当たりすることも、どちらを選択する自由も人間には保証されていると。
あなたはどちらを選択しますか?