京都府警から実名公表
遺族の反対がある中、マスコミから被害者の実名が報道された事がネットで問題視されています。
事件被害者の実名報道については、近年ネット世論を中心に反対意見が多く見られる様になってきましたが、今回の件もそんな意見をよそに、半ばマスコミが強行したかの様な印象を持った人も多いと思います。
実名報道は義務?権利?
実名報道の建前としては、国民の知る権利を保障する為に報道を行ったという事だと思いますが、ネットの意見を見る限りは、国民からはその様な要望はなく、ましてや関係者に反対意見がある中で本当に報道する事に意義はあるのか、多くの疑問が残ります。
「僕は一人の人間を二度殺す力を持っている」
今回の報道を見てあの神戸殺人事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗による犯行声明文にこんな一文があった事を思い出しました。
この言葉の正確な意図は分かりませんが、肉体だけでなく魂をも殺せるとうそぶく事で、自らの力を誇示しているかのような印象を受けます。
それは国民ではなく、マスコミの権利行使
遺族や国民からの反対意見を押し切る形で報道を行う事で、マスコミは自らの力を誇示することが目的なのではないか?
「我々には被害者を二度殺す力がある」と、うそぶいている様に思えるのは、私だけでしょうか?
近年SNSによる情報発信に押され、その存在意義を問われている大手マスコミにとって、国民の知る権利を盾に実名報道を行う行為は、今のマスコミに残された数少ない権利の一つと見る事ができます。
しかし、国民や被害者感情を無視したその行為は、一時的な自尊心を満たすだけのものであり、今後マスコミと国民との意識の溝を大きく広げる「自殺行為」に過ぎないのではないでしょうか?