「韓国いらない特集」で週刊ポストが謝罪
週刊ポストの特集記事、「韓国いらない」の内容について批判が相次いだ問題で、週刊ポスト側から配慮に欠いたという趣旨のコメントが出された。
ネットでは「表現の自由」を主張するコメントが目立つ
今回の記事内容については著名人からは批判的なコメントが多いが、ネットでは表現の自由を主張するコメンがが目立つ。果たして、差別を助長する内容に対して表現の自由を守る必要は本当にあるのか?
差別やヘイト問題については、必要以上に自制的になる必要がある理由
人類にはDNAに刻まれた排外的な性格がある。人間が近代社会を築いてからまだ二千年程度しか過ぎていない。ホモサピエンス250万年の歴史から見ると、つい最近の出来事だ。
私たちには他の種族と命を奪い合う日常を何十万年とそのDNAに刻み続けてきた歴史がある。
だから、知らない人物の顔は遠くから見てもすぐに見分ける事が出来るし、顔かたちの似通った他民族でも骨格微妙な違いなどから、知識は無くても違和感を感じる事で識別が可能だ。それはDNAに刻まれた記憶によるもので、その能力が直接生死を分ける様な生活を永く営んできた証と言える。
差別扇動の自粛より、表現の自由が大事?
人間は特定の条件下で他民族に対して恐るべき残虐性を発揮する生き物であることを自覚すべき。
その残虐性は特定の民族や国家、あるいは時代性に限定される物ではなく、人類に普遍的に内在するものであり、その残虐性のスイッチは意外と簡単に入る可能性がある事をキモに銘じておくべき。
結果論的に考えると、表現の自由という権利と差別の扇動自粛はバーターで論じるようなものでは無い。
表現の自由が阻害されても、人間の命が奪われることには直接的につながらないが、メディアが排外主義を煽る行為は、民族虐殺を起こすリスクを孕んでいる事を歴史は証明している。
ルワンダではメディアを使ったプロパガンダにより、民衆が扇動され数十万人もの虐殺が起きた事実が明らかになっている。
これは「遠い国」の「遠い時代」のお話ではなく、人類という同じ起源を有した存在が作った歴史だという認識を持たなければならない。決して他人ごとではない。
「韓国もやってるから日本もOK」という主張を封じるには?
現在韓国内で行われている日本不買運動を初めとした、日本への批判的な言動は、メディアはあまり積極的に報じようとしない。対韓感情を悪化させる可能性を考慮したものと思うが、これは逆効果で今やメディアは情報の一部でしかなく、マスは最早ネット上に存在すると考えれば、メディアが自粛したところで不信感を煽る事になり、転じて韓国への嫌悪感を増大させる結果にしかならない。
韓国内で日本に対するヘイトが行われているなら、メディアはこれを徹底的に批判すべき。
そうする事で初めてメディアの主張に一貫性を持たせることが出来、日本国民は「自制心を持つべき」というメッセージに耳を傾けるようになる。