こんにちは。心理カウンセラーの坂本仰次(こうじ)です。
人付き合いが苦手な人、多いですよね?
自分も人見知りで口下手、自己中の三重苦を背負った筋金入りのコミュ障と自負してます。
「めんどくせえオッサンだな!何か自慢げに書いてるようにも取れるのはなんでだ?」
「ただの開き直りじゃないかねぇ?」
世の中には価値観や性格が合わず、なるべくお付き合いしたくない人は少なからず存在すると思います。
でも、それが同じ職場の同僚・上司や、取引先の人だったりすると仕事をする上で関わらざるを得ません。
そんな時は、割り切ってしまうしか方法はない訳ですが、毎日の事となるとそれがかなりの負担になります。
ではどうすればいいか。
あなたが苦手な人の事を話題にするとき、こんな風に話していませんか?
「あの人は根が暗いから云々」「課長は短気だから云々」など、その人の性格を決めつけてから、当人のエピソードを語る会話です。
ネガティブな性格が前提の場合、当然付随するエピソードもネガティブになります。
このように人の性格などを決めつける行為をレッテル貼りと表現しますが、こうなると何か問題が起きると原因は全てその人の性格に起因すると考えがちになるので、問題を解決するのは難しくなります。
だって人の性格は容易には変えられないと分かっているから。
そして一度貼ってしまったレッテルを剥がすのは困難です。なぜなら貼られたレッテルの内容を前提に物事を考えることで、思考の手間が省け、楽ができるからです。
しかし、実際に起きる問題の原因は多岐に渡り、容易に改善できるものや単なる誤解である場合もあります。
ですが、レッテルを貼ってしまっている場合、それらの選択肢は初めから除外され、レッテルの内容に見合った結論しか導き出されません。
孔子の言葉に、「罪を憎んで人を憎まず」という教えがあります。
聖書にも似たような一説があることから、人類普遍の教訓であると言えるかもしれません。
「また古いアニメネタ出してきたな・・」
「古すぎて誰もわからんじゃろぅ・・・」
これは、「 犯した罪を憎んでも、罪を犯した人そのものを憎んではならない」という戒めですが、これを性格の悪い人が起こした問題に当てはめると、「起こした問題にフォーカスすべきであって、その人の性格にフォーカスすべきではない」と置き換えられます。
レッテルで思考停止するのではなく、そこから一歩踏み込んで、その人がなぜそんな行為を行ったのか?と考える事で、より客観的に問題を捉える事ができ、苦手な人に興味を持つきっかけにもなります。
具体的な例を挙げると、いつも仕事をサボっているA君に対して、「あいつはサボり癖がある」とレッテルを貼ってしまうと「サボり癖のあるやつとは仕事したくない!」と関係性が悪くなる可能性が高いですが、一歩踏みこんで良く観察すると、サボるという評価は彼が人より多く休憩を取っていることが理由で、その点について本人に質問してみると、実は自律神経失調症で疲れやすい体質であるという要因があった。
この事実を知るだけでも、A君に対して好意的な見方やアドバイスもできるようになります。
普段の会話でレッテルを多用していると感じた人、気が付いた時は一歩踏み込んで考えるクセを身に着けてはどうでしょうか?
それだけで、周りにいる苦手な人を減らせるかもしれないと考えたら、簡単なことだと思いませんか?
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